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京都へ行こう!~その10 [パパの絵日記]

 渡月橋

嵐電に揺られて嵐山駅に着くと、徒歩でほどなく渡月橋の袂に出ます。有名な橋だけにまたしても黒山の人だかりかと思いきや、意外にもこの橋を眺めたり写真を撮ったりという人は少ないので驚きました。人の頭を避けながらシャッターを押すという覚悟をしていただけに、ちょっと気が抜けてしまいました。

 

渡月橋

金閣寺と同様、嵐山も初めて訪れる地です。妻は高校生の頃に修学旅行で保津川下りをしたそうですが、嵐山の景色や渡月橋のことなどこれっぽっちも覚えていないとか・・・ホントに京都という街は年を取ってから訪れるに限りますね。

 

人力車

街中でも余り数を見かけなかった人力車が、嵐山界隈では「道を歩けば人力車に当たる」というくらいたくさん見かけました。

この辺りで足の痛みが増してきてはいたのですが、あくまでも「旅は自分の足で歩く」というのがルールと考える私は、スタスタと歩く妻に後れがちに「三歩下がって」ついて行くかのような情けない夫になっていました・・・(ノ_<。)うっうっうっ

 

 

天竜寺

二日目に訪ねた相国寺が京都五山第二位のお寺だとすれば、嵐山の天竜寺がその第一位に位しています。その敷地はかつて嵐電の帷子ノ辻駅にまで及んだといいますから、相当に広大なお寺さんだったということになります。いまやその広大だった面影は感じられず、こぢんまりとした印象です。(ちなみに南禅寺は京都五山の別格扱いとなっています)

 

 竹林

天竜寺から北へと進むと、延々と続く竹林の小径へと出ます。両脇から天に突き出すように伸びて空を塞ぐ竹林は壮観でした。ただ、この細い通りを次々と自動車が通るので、「おいおい、轢かれるんじゃないか?」と不安になるのは玉に瑕状態でした。

この先に大河内伝次郎の別荘を見学できるのですが、妻は「誰、それ?」状態。かつては板東妻三郎や嵐寛寿郎、片岡千恵蔵や市川右太衛門、長谷川一夫と並び称された往年の大スターも彼女にとっては意味を持たぬ故人というだけでした。かくいう私も伝次郎には興味がないので、あえて入場料を払ってまでも見ようと気にはなりませんけど・・・。こうした大俳優たちも、若い人たちに語り継がれることもなく歴史の波に飲み込まれて消えていくのは、なにか侘びしさを感じます。

 

嵯峨野トロッコ列車嵐山駅 焼き山栗

竹林を歩いていると、ときおり「ガタガタッ!」という大きな音が聞こえてきます。嵯峨野トロッコ列車の音です。当初はこの列車にも乗ってみようかという話だったのですが、この日は前日の雨の影響もあってかとても肌寒く、ただ行って戻るためのトロッコ列車では寒さと引き替えにするだけの価値は見いだせずに取りやめにしました。

竹林を抜けるとトロッコ列車の嵐山駅です。山道を歩いたために足の痛さが増したことと、寒さでトイレに行きたくなったのでここで小休止。構内で売られていた焼き山栗を頬張ると、また歩くだけの元気が出てきました。この山栗、よく見かける天津甘栗と違いただ煎っただけの栗なのですが、その味は天津甘栗などよりも遙かに上でした。栗が爆ぜるので、実際には常に蓋をしながら煎っているのですが、「おや、写真を撮るのかい?」と快く蓋を取ってくれたおばちゃんに感謝です。その拍子に「バチッ!」という音とともに栗が一つ弾け飛んでいきました。くわばら、くわばら。

 

 小倉池

さて、ここまで順調に予定をこなし、当初よりも早く日程を消化しています。本来は渡月橋を見たらホテルに戻る予定でしたが、時計の針はまだお昼を指しています。大好物の栗を食べたこともあって、足の痛さを忘れてこのまま歩いて嵯峨野まで行ってみることにしました。(いやぁ、ホントは痛いんですけどね)

 

 落柿舎 井浦人形店

小倉池の紅葉を眺めながらその畔を進むと、野菜畑の向こうに鄙びた家が見えてきます。芭蕉の高弟である向井去来の庵跡であるところの落柿舎です。足の痛みがなければそこまで行ってみるところですが、ここで無理はできません。

落柿舎へと向かう分かれ道の角に「井浦人形店」がありました。なぜこんな辺鄙な場所にあるのか不思議ですが、もう3代続くお店なんだそうです。嵯峨人形と土鈴を生業としているそうですが、とにかくお店の間口が狭い。狭いところにビッシリと可愛らしい土鈴が並んでいるものだから、客が二三人入るともう身動きとれません。たまたま通りすがりに見つけたのですが、店内には美智子妃殿下のお写真が飾られていましたから、かなり有名なお店なんでしょうね。ここで妻がなにやら可愛らしい小物を買い求めていました。

 

祇王寺 祇王寺

そのまま落柿舎の方へは曲がらずに突き進むと、ほどなく二尊院の参道入り口に出ます。足のこともあって二尊院には立ち寄りませんでしたが、門前で解説している人の話を小耳に挟んだところでは、通常お寺は一つの本尊を持つのだが二尊院は名前の通り釈迦如来と阿弥陀如来の二尊を奉じているのだそうです。

 祇王寺

私たちの目的地はさらにその先にある祇王寺。詳しく知りもしないのですが、なぜか「祇王」という名称が気になって訪れる気になりました。ガイドブックを紐解いてみると、祇王とは平清盛が寵愛した白拍子で、「祇王」と妹「祇女」、さらに恋敵だった「仏御前」がともにひっそりと暮らした庵だとあります。なにゆえ恋敵同士が同じ屋根のもとに暮らしたのか・・・。その理由が知りたくて、旅から帰って祇王寺のホームページを訪れてみました。

祇王寺にて

この姉妹の悲しい物語は平家物語に詳しいそうで、清盛の寵愛をほしいままににしていた祇王が、加賀の国から流れてきた旅の白拍子「仏御前」を清盛に取りなしたことからその寵愛を仏御前に奪われてしまう。後ろ盾を失った祇王と祇女の姉妹は清盛のもとを追われるように去っていく。ところが明くる春に「仏御前が塞いでいるので、舞でも舞って慰めよ」と清盛からの使者がやって来る。もともと心根の優しい祇王は恨み辛みを忍んで請われるがままに仏御前のもとを訪れる。そこで祇王は「このまま京の都いてもまた辛い思いをするばかり。いっそのこと都を捨ててしまおう」という歌とともに、祇女と母を連れて剃髪して尼寺へと身を引いてしまった。ある日のこと、鄙びた庵の戸口を叩くものがいる。「誰ぞ」と見やると、そこにいたのはかつて自分を追い落とした仏御前であった。自らのためにうら若き姉妹を仏門へと追いやる結果となってしまった仏御前は、祇王が清盛の館に書き残した歌を詠むにつれ我が身の罪深さを深く悔いるようになる。世の無常を思い知った仏御前は、ある朝館の人目を忍んで抜け出し、自ら剃髪姿となって祇王寺に暮らす祇王を訪ね来たのである。この後、祇王たち親子三人と仏御前は祇王寺で浄土を願う日々を送り、皆が往生したと伝えられる。

 祇王寺

なんとも悲しくも美しい話ですが、そもそも祇王たちが暮らしたのは今の祇王寺ではないらしい。その尼寺は明治初年に廃寺とされたのですが、それを惜しんだ大覚寺門跡が再建を計画。時の京都府知事だった北垣国道が祇王の話を聞き及ぶに至り、嵯峨の別荘を寄贈したのが現在の祇王寺なのだそうです。

祇王寺にて

色々と知るにつれ、ますます祇王寺が気になる寺と思えてきます。そんな予備知識のないままに「なぜか気になる」と感じたのは不思議としかいいようがありません。寺と呼ぶにはあまりに貧相な祇王寺には、こうした物語があったとは・・・悲しい話です。

清盛、祇王、祇女

庵は自由に入ることが許されており(そもそもの入場拝観料は必要です)、中には大日如来と清盛を中心に、向かって左に祇王・母刀自、右に祇女・仏御前が祀られています。

また、どうでも良い話として、虹窓と呼ばれる丸窓は、ネスカフェ香味焙煎のCMに使われたそうですが、私は一度も見た記憶がありません。いまでもyou tubeで見ることができますけど・・・。

 

 和菓子

祇王寺の拝観券には二種類あり、祇王寺単独のものと、大覚寺とセットになったものです。私たちはもちろん「こうなればどこまでも」的な考えになり、足の痛みもよそに当然のように大覚寺セット券を買い求めました。

大覚寺に行くのなら、もうどこまで行っても同じだろうという危険思想まで湧き上がり、「せっかくここまで来たなら、化野念仏寺にも行っとこ」ということになりました。またいつか京都に来られるという保証はありませんから、行けるところはどこでも行っちゃえ的な思考回路になりつつありました。こうなってしまえば、もはや足の痛みなどそっちのけ状態です。それどころか、「這ってでも行ってやる!」みたいな訳の分からないガッツが生まれてきました。

祇王寺から化野念仏寺へと向かう道すがら、小さな和菓子店がありました。私自身はこうした和菓子は好みじゃないのですが(饅頭とか、煎餅とか、かき餅とか、大福とかは好物なんですが・・・本当の砂糖系の甘味はダメなんです)、義理の母へのお土産に良いんじゃないかという話にまとまりました。一つ売りもしてくれるのですが、自分の好みで組み合わせて綺麗な小箱に組むこともできます。妻は九つ入りの小箱を手に、「どれにしようかなぁ」と楽しそうに選んでいました。

こういう買い物の時に妻がよく、「こういうのに付き合うのって辛くない?」と訊いてきます。友人に不思議がられるんだそうです・・・「お宅っていつも二人で買い物に出掛けるのね」と。世の殿方はあまり夫婦でショッピングには出掛けないんでしょうか? 私は全然平気ですし、楽しいとすら感じますけど。ただ、さすがに婦人服は善し悪しが分かりませんから、すこーし退屈です。

 

20091118_132708

義理の母へのお土産をゲットして、目指すは化野念仏寺。さらにそこから山を下って大覚寺です。

延々と続いた「京都へ行こう!」シリーズもいよいよ佳境です。

今回は祇王寺の話で長くなりましたが、もう少しおつきあいのほどを・・・。


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DEMIりん

京都の風景は、いつ見ても良いものですね~。
もう長年行っていませんが
独特の和。。の空気は永遠に変わらないのでしょうね。
駅前はかなり変わったそうですが。。
by DEMIりん (2009-12-04 18:51) 

aqua_papa

> DEMIりんさん

京都は東京とは違う魅力に溢れていますね。
京の空気だけは時代が変わっても変わらないでほしいですよ。
日本人ほど自国の歴史や文化に疎い民族ってあるんでしょうかね?
そういう国だから急速な発展を遂げたのかもしれませんが、
なんだか日本人として寂しくもあり、恥ずかしいですね。

by aqua_papa (2009-12-04 19:51) 

びーんず

すみません、のんびり・じっくり見させていただいてます(笑)
またまた素敵な写真ばかりです☆
竹林、見事ですね!なんだか首が痛くなりそうです^m^
悲しくも美しい話・・・勉強になりました。
祇王たちが暮らした尼寺はもうないんですね。
祇王寺もぜひ行ってみたい場所になりました。
それで得意気にパパちゃんに教えてあげようっと♪


by びーんず (2009-12-18 09:25) 

aqua_papa

> びーんずさん

あんまりジックリ見られると下手なのがバレちまいますぜい!
北海道には竹林なんてありませんから、かなり衝撃的でした。
嵐山から嵯峨野祇王寺はノンビリ歩いても1時間くらいですから、
散策にはにはちょうど良いかも・・・。
祇王寺は緑の苔が一面に広がる庭が壮観でした。
by aqua_papa (2009-12-19 00:36) 

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