京都へ行こう!~その11 [パパの絵日記]
歩きに歩いた京都の旅も、もうすぐ終わりを迎えます。それでも私たち夫婦はここに来てもまだ歩き続けます。祇王寺を後にし、化野念仏寺へと向かう長い坂道をのんびりと上っていきます。この辺りに来ると紅葉も見事な色合いになっていました。
風葬地だった化野あたりには多くの遺骸が転がっていたらしく、弘法大師がそれらを供養するために如来寺を建てたのが念仏寺の始まりだそうです。したがって元々は真言宗だったものが、のちに法然がここに絡んでから浄土宗に変わってしまったらしい。なんにせよ、8000体とも言われる石仏が賽の河原を模して整然と並ぶ様は本来なら異様と言うべきなのに、なぜか厳かな気持ちになってしまいます。
後方の山腹へ延びる竹林の小径があり、その先に「六面六体地蔵」が祀られています。仏教には独特の世界観があって、人の心は天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道と呼ばれる状態のいずれかにあるとされるようです。三途の川というのが有名ですが、これは地獄道、餓鬼道、畜生道をあわせた呼称だという話です。六面六体地蔵は、この六つの道にある心を救うためのお地蔵様で、天道から時計回りに清水を掛けながら祈れば贖罪されるのだそうです。
ところがここでとんでもない罰当たりなババアが登場しました。「へえ、お水を掛けて回ればえんやな」と言ったが早いか、一つの柄杓になみなみと水を溜め、祈りの言葉もなく次から次へと駆け足のようにして六体のお地蔵様に水を掛けて回っておしまいです。(あんた、地獄に堕ちるで)と心の中で思わざるを得ませんでしたが、今の時代はこういうとんでもない輩にもなかなか罰は当たらんみたいです。
庵の壁に一枚の張り紙が・・・。読んでいると心が改まる思いがします。
気持ち分のお布施をすれば持って行ってもよいと、こうした紙片が無造作に置かれていました。
わらわれて、わらわれて、えらくなるのだよ。
しかられて、しかられて、かしこくなるんだよ。
たたかれて、たたかれて、つよくなるんだよ。
いやぁ、本当に良い言葉です。おどろおどろしい印象が強いお寺さんですが、頑張って足を延ばしてきて良かったと思います。「頑張れば、きっと良いことが待ってるよ」という仏様のお導きなのかもしれません。
念仏寺の境内には水子地蔵さんも祀られていました。「絶対に撮影はするな」という張り紙がデカデカと目立つにもかかわらず、無神経にカメラを向けるオッサンがいたことに幻滅です。こういうのは写真を趣味にするものにとっての面汚しですな。
うおぉぉ~っ」と圧倒されるような豪華さは全くありませんが、釈尊よりも地蔵尊を尊ぶような雰囲気は、まさに無縁仏を祀ることと相まって庶民に心の安寧をもたらしてくれるかのようです。私はこのお寺さんが大好きになりました。
念仏寺で「虫塚」という小さな石塔を見つけました。きっと「一寸の虫にも五分の魂」ということなのでしょうねぇ。どなたかのブログに「犬塚がある」という記載がありましたが、そちらは見つけることができませんでした。今はもうなくなったのかもしれませんね。
歩き回ってお腹が空いてきました。化野の坂道を下りながら「弁治」という茶寮で嵯峨野豆腐の湯豆腐をいただきました。それにしても、返す返すも聴松院の湯豆腐がなくなってしまったのが惜しいですねぇ。
京都の旅も残すところ大覚寺さんだけとなりました。このお寺さんは当初立ち寄る予定ではなかったのですが、祇王寺でセットになった拝観券を手に入れたので、足の痛みを騙し騙し山を下ることにしました。それはまた明日に・・・。
いきなりスゴイ写真ですね・・・(^_^;)
写真で見ると・・・やっぱり異様なかんじがします。
張り紙、ドキッとしますね!
これ書いた人は、なにを言いたかったんだろう・・・
肝に銘じるように・・・ってことなんでしょうか?
そして素敵なお言葉!これとっても染みますねぇ。
アクアパパさんの京都シリーズを見てると、
同じようにまわってみたくなります。
でもなぁ~、足がつらそうだなぁ~(笑)
by びーんず (2009-12-18 09:32)
> びーんずさん
化野っていう名前からして、なんだか不気味ですよね。
私も実際に行ってみるまでは期待していませんでした。
その思いを見事に打ち破る見事な紅葉でしたよ。
張り紙は「人間、思っているような立派なもんじゃない」って戒めですかね。
自分のことを言われているようで、かなり焦りました(≧ロ≦)
by aqua_papa (2009-12-19 00:41)